都落ち

都落ち、とは

都会で夢やぶれ、地方に戻ること。

都を追われて地方に逃げていくこと。

大都会、特に東京から地方に転勤すること。

カードゲーム「大富豪(大貧民)」のルールのひとつ。連続して大富豪になれなかった場合、自動的に大貧民になる。

都落ち。
ちょっと持っている意味とはニュアンスが違うのですが、
これを数年前に体験いたしました。わたし。

引越して数年経って
その時のことを少し落ち着いて回想できるようになってきたので、
ちょっとだけ、
思い出話にお付き合いいただけると嬉しいです。

簡単な生い立ち(居住地編)

私は、新潟県出身の両親の元に
東京の東部で出生しました。

二人姉妹の長女で、妹は4歳下です。

東京の東部ですが、
他県と隣接している地域で
治安はあまり良くなくて、
いわゆる低所得層が多く住む地域です。

デンジャーな大人がけっこう出没する地域でもあります。

ざっくり言うと
父は元ヤンキーで
母は元ヤンキーの妹です。本人は非ヤン。
(母の兄、私にすると伯父が校内一のワルいおにいさんだったそう)

なぜかこの二人が人様の紹介で出会い結婚して。

父の当時の勤め先が東京だったこともあり、
母は上京してきた。

最初の住まいは新宿だったそうです。
(柏木、淀橋、とかで分かる方には分かる地域…北新宿ですね)

で、私が産まれる前にちょっと色々ありまして、
(私の記憶にないところでもありますので割愛します…)

私の出生地である
東京東部の古くて狭いアパート、に転居して
生活が始まったそうです。

父は、労働力が給与に反映しないタイプの職種で
(建築方面とでも言っておこうか)
母は専業主婦。
お貧乏でしたよ…なかなかにね…。

でも
周囲も似たような、下手すると
私の家より劣悪で大変そうなお友達もいたり
子供で何も分からなかったということもあり、
「住めば都」、
私にとっては都に等しい気持ちでいました。

家庭環境が悪いとは特に感じなかった。

ただ、私は
外部(この場合学校など)で
あまり人と関わるのが得意ではなかったこともあって、

イジメに遭うとか、
(小学生の頃からの友人が手のひら返し…みたいなことです)
学校に行けなくなった時期があるとか、
他の子のように過ごせなかったことがありました。

とあるエッセイを拝読した時に
あれ…あれあれ…これ私と生い立ち似てるぞ…状況はちがうけど…

と思いました。
ちょっと待てなんだこの環境のシンクロ感は…と…。
(私は親が早婚ではないけれども)

ほんの少し、その著者の方と
似ている部分を持っているのかもしれないです。私。

ごめんなさい著者さんのファンなんでそう言いたいだけですごめんなさいごめんなさい。

そういう感じで
出席日数も頼りなかったので
入れる高校も無いに等しかったのですが、

偶然が重なり
とある女子校にブチ込まれ入学することとなり、
いわゆる高校デビューというものをしたこともあって
高校生活は楽しく、充実していた。

ちょうどその頃
私の家庭にとっての「バブル」がやってきて、
新築マンションに引っ越すことになった。

この間、かなり省略しますが
結局、バブルははじけて崩壊し、
そのタイミングで父の勤め先の社長が夜逃げしてw、

他にも色々あったのですが
簡潔に言うと金銭的窮地に陥って
…はい、ここです。
ここであのワードが出てきます。

「都落ち」、することとなりました。

単にお金がないから、だけではなく
母の入院手術や
(数百万かかるところをお国の制度で少なくしてもらい、どうにかお支払いできました…)

自宅の隣に引っ越してきた
隣人の騒音が異常だったこと、

なども諸々含めて
「都落ち」込みの引っ越し、を敢行したわけです。

都落ちとは言うものの

具体的にどうなったのかと申しますと
家賃の低い部屋に引っ越した

ということ以外は
全然、都落ちでもなんでもないんですよね…

人生初の団地暮らしをしています。

マンモス団地ではなく、わりと陸の孤島的な団地ですね…。

古いマンモス団地とかも好きなんですけどね。
給水塔とかあるような。

本当はスターハウスに住みたかった。


スターハウスかっこいい。

老朽化でどんどん取り壊されているみたいなので、
その前に見学に行きたい。

建造物好き

うにゃうにゃと不満を言いつつも
最寄り駅から歩く時間は減ったし
(徒歩20分→徒歩10分)

階層高くなったし
(以前は3階→今は倍くらいの数の階)

直線距離「だけ」でいうと都心に近くなったし
違う路線の2駅を同時に使える立地だし

・・・・・。

でも、ダメージはわりと大きかった。

そこで産まれてからずっと
「地元」として愛していた街を離れることになってしまったこと、
(ちょっとだけ一人暮らし時代があるけれども地元は地元だ)

旧居付近も治安は悪くてやべえヤツが沢山いたけど、
新居は違う種類の変な人が多くてつらいし
(旧居は社会に反する怖いおにいさんとか窃盗とか暴行とかそういう全体的なヤバさで、新居は性犯罪系が多いらしい…自治体が設置したそういう内容の立て看板がある…確かに旧居より男性比率が多い街、という印象はあるな…)

旧居のほうがいなかだったから
ローカルなちょっと大きめスーパーとか
駐車場の広い中~大型のコンビニとかあったんだけど
新居はそれがなかったりとか、

愛するホームセンターがないこととか
(旧居付近はちょっと歩くと屋号の違うホームセンターがいろいろあった…店舗によって特徴が違うからさ…)

書店が駅付近に一切ないとか
(旧居付近は多かった)

人によっては便利かもしれないけれど、

「生活」に重きを置いた場合は
逆に不便になるもんだなあ…住んでみて知りました。

精神的「都落ち」、
けっこうなダメージたったわけですが
そこに拍車をかける出来事がありました。

推し関連でロスって拍車が

この世でいちばん分かりやすい言い方をすると、
私が応援している方が結婚したんですよね。

自分では…。
そのグループを応援し始めの頃の
担当は別の方だったんだけど、
その方は芸能界をお辞めになって…私はそのまま「箱を推している」状態で、

特にその方のことを好き、ということではなかった。

何なら他の新加入メンバーのほうが好きでw、
でも

結局その方ひとりで活動することになって、
以前やってた職業もまたやるようになって
(たぶんこの頃に奥様と出会われて、その影響だと思われる)

私は「音」から推しになったので、
その職種においては
私の応援したい方向とちょっと違うんだよね…

…なんて思っていた相手だから
平気そうな気もしますが、なぜだかどうしてだか
見事にロスったんですよね。

自分で自分に驚きました。

ロスのおはなし

さまざまな都から落っこちたことで

ここ数年は
精神的な負荷がかかりすぎていた、と
自分でも強く思います。

持病由来の行動の不便さで、
未だにフルタイムで働けない。
(月~金、9時~18時残業あり、みたいな働き方ね…)

体力もゼロというかマイナスというか
動けない状態になり、
体重だけがマイナスになってくれなくてプラスに転じる状態でした。

そこのプラスはつらかった。
何ならいちばんつらかった。

基本的に快楽主義なので
どうにかこの人生の階段を一つ飛ばしで登っていけやしないか、
などと期待をしたこともあったのですが

人生の階段だけは、一段一段
しっかりと自分の足で登っていったほうがよさそうで。

そうじゃないと、自分の力にならないみたいですね…。

隣人騒音で不眠になった時期は
それはもうえらい目に遭いましたが、
(人は不眠になると確実におかしくなります)

その時も、闇雲に
「隣人出ていってくれ」という感情論ではなく
階段を上がるように対策を講じていけばよかったな、と
今になると思えます。

当時は先に精神が参ってしまったので
そこまで考えが及ばなかった。

時が経って
ようやく都落ちという結論に至ったわけですが、
(その時期に諸々のタイミングがうまく重なった)

そういう「環境の変化」が
自分のよい変化に繋げられればいいわけで、

そうしていけたらいいな、と
今は思っています。

読んでくださった方がもしおられましたら、
イモムシのようにごろごろしながら喜びます。
ありがとうございました。