新年早々ひいてしまった風邪が長引いて、
なんじゃこれ…今季の風邪すげえな…と
思わず口が悪くなってしまう勢いでえらい目に遭いました。
インフルエンザ含め、
みなさまも
流行性の感冒全般には
ご注意、ご自愛いただけたらと思います。
2019年最初の「変態巡礼」
当ブログでは何度か投稿していますが、
筆者は前々から
「変態巡礼」を敢行しておりまして、
変態巡礼とは:
A.B.C-Zの戸塚祥太さんがラジオ番組で言及した、
要約すると
「過去、自分に関わりのあった思い出の地を巡礼する」こと
過去にも
「変態巡礼」…というブログを書きました。
この時は
自分が生まれ、
数十年にわたって暮らしてきた場所を訪れて
実際に歩いて巡って当時に思いを馳せてきました。
この記事の最後にもちょこっと書いたのですが、
その「変態巡礼」の、第二弾を敢行いたしました。
いつものような
「えびふぉゆ」にきゃいきゃいしている記事ではありませんが、
よかったら見ていってくれると嬉しいです。
まず向かったのは
昨年から、どうしても行きたかった場所がある。
どうしても
この時期を逃してはならない、そういう場所。
それがこちらです。
そう、
三鷹の森ジブリ美術館です。
私はスタジオジブリのアニメーション作品が好きでして、
こちらの美術館には
前々から行きたいとは思っていたものの
都合がつかず、
「いつか行けるだろう」と
気楽な思いを抱きながら日々を過ごしていました。
でも。
「企画展示」が
私の心を動かしました。
家族や周囲には申し訳ないけれど
この企画展示に関しては、一人でじっくり見たかった。
「一緒に行こう」と言わなかったことは
本当にごめんなさい、という思いでいます。
この私があの場所に一度だけ行って満足するとは
我ながらどうしても思えないので、
社交辞令なしで
またの機会に是非、
…という思いでおります。
実際、全然用事が足りなかった。
見たいものを見逃している。
例えば屋上のロボット兵とか…企画展示見たらすっかり忘れてしまった…w
ということで
昨年末に思い立ち、
チケットを購入して
(予約制なのですよねジブリ美術館…)
当日を迎えることとなったわけです。
ある日、JR三鷹駅に降り立った私は
美術館まではどうやらバスが出ているらしいとのことで
乗ることができるバス停へ向かいました。
ひとつ前のバスが満員に近かったし
時間も少しあったので、
次のバスに乗ることにして…わりとすぐに次のバスが来て
ひとりでのそのそと乗り込みました。
時間を追うごとに、
どんどん人がバスに乗ってくる。
発車時間には
ぎゅうぎゅうな状態になっていました。
しかも日本人めっちゃ少ない。
私がバスに乗った時は数人しかいなかった。
私以外の日本の方は全部カップルでした。
別に泣いてないし。
外国の方がたくさん
ジブリ美術館に行くのだなあ…と
その時に思い知らされました。
ジブリ作品の人気は知っていたつもりだったけれど、
ここまでとは思わなかった。
日本スゴイ系の番組で
クールジャパンすげえすげえと言われているけれど
個人的に全部は信用していなくてw、
ちょっとびっくりしたんですよね。
その、異国感溢れるバスに揺られて
ジブリ美術館のバス停に到着して…バスに乗車している方たちが
ほとんど美術館に向かうことは予想できていましたが、
既に長い列が、
美術館の前にできていました。
入場までに結構並ぶものなんですね…さすがジブリ…
そして受付に到着しました。
(こちらはダミーで本当の受付はもっと奥にあります)
でかい。かわいい。
思わず写真を撮りました。
トトロの左のおなか辺りにモザイクをかけてあるのですが、
写真を確認してみたら、
新種のトトロが写り込んでいました。
ライトグレーフーディートトロ(作品内未発表)。
言うまでもありませんが
グレーのパーカーを着た自身がガラスに写り込んだ様子は
ガチのトトロでした…ダイエットします…泣
並んでいる間、
いちいちジブリっぽくてよき。
施設内は撮影できないのですが、
ともかくすごかった。
私目線からは、まさに「垂涎」。
人気があるので
たくさんの方がいるのは致し方ないけれど、
これ貸し切りで一日中いられたらいいな…もっと細かくじっくり見ていたかったな…と思いました。
そのくらい素敵だった。
中庭のような場所に出たらこれがあって、
あまりに可愛くて撮ってしまった。
「うおー、本当に水が出るんだー、タイルかわいいー」と
猫ちゃんの部分をひねって
ひとりで手を洗ったりしてあそんでいたら
外国人のお子さんが隣で真似していました。かわいかった。
というか
私がいい年してはしゃぎすぎた。
高いところからの中庭(?)。
あちこちで
木漏れ日が射すような
ガラスに反射するような光が目に入ってきて、
(ステンドグラスも素敵で…)
何ともよかった。個人的に。
これも作品のひとつなのだよな、と
改めてパヤオのすごさに触れたような気持ちになった。
私が行きたかった企画展示「映画を塗る仕事」展
私がどうしても行きたかった企画展示が
今、ちょうど行われています。
なぜどうしても行きたかったのか。
それは私が
元・色塗り屋だったからです。
(特に職種名がないので勝手に造語つくった)
この企画展示の感想を簡潔に書くと、
「泣いた」。
当時を思い出したのもあったし、
セルのクオリティが
私の関わっていた作品たちとは違い過ぎて…衝撃でした。
私のやってたのは何なんだ?ぬりえ?…と思ってしまうぐらいに
技術が高く、
しかも作品やシーンのニュアンスまで
細部に渡って「アート」でした。
何千枚、何万枚のすべてがアート作品で
額に入れて飾れるレベルとか、
どんだけ化け物な塗り師集団なんだ…ジブリすげえ…。
たぶん、あれは
ジブリの方が塗ったんだと思う。
(各々の会社で微妙にタッチや塗り方が違うのでね…少なくともお手伝いの会社ではないな、と…)
私の勤め先も
実はジブリ作品のお手伝いをしていて、で
会社の先輩から、塗る前のセルを見せてもらったりしていました。
その時は
私でもギリ塗れそうな感じのカットだったけれど…ペーペーだったから塗らせてもらえなかった…
(カットによって色々あるので一概には言えないけれど…)
それでも
うわ…すっげ…と思いましたよ当時…
自分が塗っているものとは次元が違いました…。
セルの時点でなんか違う。
何が違うのかを説明し難いのですが、
ともかく綺麗だった。塗ってないのに。
本当にすごかった。
こりゃ
入社したら技術が追い付かず
早々に辞めていただろうな…落ちてよかったのかもな…とも思いました。
当時、
学校に求人票が来ていて若干名の募集がかかっている
この時期しかない、と思い
ジブリの入社試験を受けさせていただいています。
あの時は緊張したなあ…本当に。
ジブリ本社がまずジブリの世界そのものだし(当時)、
会社の中も綺麗だし、
社員の方はお昼にお重に入ったお弁当を食されていたしw、
私が見てきた「アニメーション業界」とは
確実に一線を画していた。
入社試験中に上の階から誰かが降りてきて
私に「どう?ちゃんとできてる?」と
話しかけてきたヒゲのおじさん男性が宮崎駿さんだったり、
面接試験で
テレビで拝見したことのある方たちがズラっと並んでいたら
そりゃ普段の能力発揮など無理ですって。
で、実技で失敗して見事に落ちました。
やってはならんミスをおかしてしまったんです…。
宮崎駿さんや
ジブリの色を創り出している保田道世さんにお会いできたのは
本当に素敵な思い出になりました。
私にとっては神みたいなものですからね…。
企画展示フロアの出口に置いてあった、セルに塗る絵の具があまりに懐かしすぎてひとつパクってきたい勢いでしたがさすがにやりませんでしたw
ライトなようでヘビーだったあの頃
私は、高校生の頃に
テレビや雑誌などに掲載されていた職業に就きたい、と
ふと思い立ち
専門学校へ進学しました。
ジャンルは「アニメーション」。
アニヲタでも何でもなかったのに
(作品を見たり描いたりするのは一般の方と同じくらいの感じで、
同人誌即売会に出した経験もなく
どちらかというと声優さんのファンをしていた)
いきなり予備知識もなく
その世界に飛び込むことにしたのです。
(とは言え最低限の知識は得ようと…錦●町のアニメイ●でバイトしていたのもこの頃)
たぶん、影響を多分に受けたのは
幼い頃から見ていた
スタジオジブリの映画の公開が決まるたび放送される、
公開前の特番だったように思う。
制作スタジオ(主にジブリ本社)にカメラが入って
描いている様子が映っている、
劇場作品が出来ていく工程を追う、あれです。
あの番組で、私は
「仕上げ(彩色)」というセクションに興味を抱き、
某アニメ専門学校の
仕上げに特化した学科に進学しました。
アニメーション業界は当時、分業制で
(今はどうなのか全然分かんない…)
それこそジブリや
ガイ●ックスのような制作会社と、
分業それぞれに特化した会社があって
私は後者、仕上げに特化した会社に就職しました。
仕上げ、彩色、というのは当時の時点で
「セル画」
…をこしらえる職業を指すものでした。
私は
意気揚々とその世界に飛び込んだものの、
情けないことに、早々に
物理的に精神的に崩壊してしまったことで
新人のまま辞めてしまったようなものなので…
当時絶賛移行中だったデジタル化の先を知りません。
デジタル彩色は、
ちょうど会社でパソコン買って…みたいな時期だったので
賃金が発生する彩色は一切やったことがない。
専門学校の授業でかじったくらいの感じ。
夢が破れた、ことで
随分と苦しんだし
本当に長い間、下手したら今でも
当時のことを引きずっている。
しかもこのスキルを活かせる場所は一切ない。
ただペンキとか爪を塗るのはそこそこ上手い。かも。
でも当時のクセで厚塗りにしがち。
「夢破れた」場所を巡礼する
ジブリ美術館を出た私は、
吉祥寺駅前まで井の頭恩賜公園を通っていきました。
吉祥寺。
ほんのちょっとだけ土地勘がある。
なぜならアニメ業界にいた頃、
バスに乗れば遊びに来れていたからだ。
これからそのバスに乗る。
ここからがむしろ変態巡礼のメインだ。
…と思いながら歩いていた時の写真です。
発車時間まで間があったので
吉祥寺でちょっと腹ごしらえ。
安定、オマールえびのビスク。
えび担、えびをすする。
そしてこういう時どうしてもパンを選んでしまう。
カレーでナンが選べたらナンにしてしまうタイプ。
そして
「職人のほうじ茶のチャイ」、美味でした。
もぐもぐしたのち、バスに乗る。
…あれ、行先(終点)の名称が違うぞ…わかんなくなった…と
ほんのり迷いつつ、バスに乗る。
さまざまな「はじめて」
不安を抱えつつバスに揺られて到着したのは、
ここでした。
練馬区上石神井。
西武新宿線上石神井駅。
私は、ここで
初めての就職、
初めての1人暮らし、
…などの初めて尽くしを体験いたしました。
この道を通って会社に行っていたな。
実は数年前にも訪れたことがあって…。
私の元勤め先が移転したことを知っていたので
その場所に行ってみたのですが
…数年前には存在していたその場所は、
今はポストにガムテープが貼られ
入居していないことを示していた。
ボス、という存在と職場環境
調べてみたら、
どうやら昨年の夏くらいに
会社をたたんでいたようでした。
その会社の社長は
私の父と確か同世代の女性で、
(書いていて思い出した…面接か何かでそんなこと言われたんだった)
社長と呼ばれるのを嫌がっていて、だから
私たちは「ボス」と呼んでいた。
私が入社した時点では、女性のみの会社だった。
(色塗り屋はそもそも女性比率が多いからこういうこともある…)
ボス自身が会社をたたんだのか
それとも
代替わりしてから会社をたたんだのか、
というのは分からなかったけれど
(当時の社内情勢?からいくとその二択かなと…)
私と同期入社だった二人は昨年まで会社にいたのかな、
今何をしているのかな、
…ということを思いながら
知っている道を、ずっと歩いていた。
特に同期の二人は、
学校でも同級生だったこともあり
私によくしてくれたんです。
でも…私が壊れて、
個人的に挨拶できぬまま去ることになってしまい
随分と不義理をしてしまったな…。
(会社で辞める挨拶をした日が最後だった)
心身に余裕があったら
もっと仲良くしたかったな、と思う。
今はとにかく
元気でいてくれたら、それが私の本望です…。
他に立ち寄った(横を素通りした)のは
よく仕事の合間に先輩や同期と行っていた
足ふみロボットのいるうどん屋さんとかw、
(違うお店になっていた…泣)
から揚げの美味しいお肉屋さんとか
(貴金属のリサイクルショップになっていた…泣)
1人暮らしでホームシック全開の頃にひとりで決めて入った美容院とか
(寂しい時期の美容師さんの言葉は優しかったな…でも今は居酒屋に…泣)
あとは
自分が住んでいたところも、前を通って確認してみたり。
(さすがにまだあった…でも古くなっていたな…)
…思い出に存在していた存在の存在が見事になくなっていてw、
それだけ
長い時間が経ったのだなあ…とも感じましたね…。
魔女の「呪い」
そして、心身が壊れて動けなくなり
辞めることになった私に、
ボスは
「あなたを育てる為にお父さんが頭を下げて稼いできたお金を無駄にすることになるよ」
とか
「この会社は全然厳しくない、ここで頑張れないなら今後どこへ行っても同じことを繰り返すよ」
…と、仰っていました。
で、ずっと
それを引きずって生きてきました。
私はそれからも
腰椎の疾患で動けなくなっては家族に迷惑をかけ、
あの場所で頑張れなかった、
だからまた同じことを繰り返してしまった、と
後悔し続けて、
(仕事は確かに点々とした…身体の調子がアレなら辞めなきゃいけないし、ちょっと良くなってもバイトとかしかできないからね…その時々に応じるしかなかったわけで)
東日本の震災前後に
自律神経失調とパニックになり
更に家族に迷惑をかけ、
…まさにボスの仰る通りの人生を過ごしてきました。
また頑張れない、
また同じことを繰り返してしまった、
と
何度も何度も何度も思って
自己否定、自己卑下、
あの時に頑張れなかった自分、
…を引きずって生きていて。
でも、
これ言っちゃっていいんですかね、
ちょっと言っちゃいますね。
…会社がなくなったことで
魔女(ボス)の呪いが解けたような気持ちになった(笑)。
ボスの仰ることは確かにその通りで、
私は周囲に不義理ばかりの人生で、
どうしようもない人間ではあるけれど…。
例えると
「男は男らしくあるべき」とか
「女はおしとやかであるべき」とか
そういう「根拠やいわれのない悪習」に近いもので、
(性別にまつわる場合はジェンダーロールと言いますよね)
私は、必要以上に
「呪いのことば」として
それに縛られていたのかもしれないな、と感じた。
「私の父が頭を下げて稼いできたお金を無駄にすることになる」
…というボスの言葉も、
父が親になったのも
頭を下げたであろう仕事をしていることも
「父が決めたこと」であって私が背負うものではないし、
そういう親としての行動で恩を着せて
子供に責任を課したり
言動の制限をするのは何か違うし、
「この会社は厳しくない、ここで頑張れないなら今後どこへ行っても同じことを繰り返す」
…というボスの言葉については
そりゃあんたの会社(言い方)は
アニメ業界の中では緩いかもしれないけれど
当時のあの業界は性格の歪んだ方ばかりというのも周囲から伺っていて、
社内の先輩の一部にも
そういう空気に染まってしまったであろう方もいて
私はその人たちに…大きな苦痛を与えられたわけで…。
でも、
水の合う会社や所属先があれば
同じことを繰り返すリスクは減るし、
仕事に対しての厳しさならある程度は頑張るけれど、
人格否定をされ続けることや
誰かのストレス解消に利用されるような環境は
「自分を育てるための厳しさ」とは違う。
私が頑張るから、
頑張らないから、
…という話ではなかったんだ。
…と気付くのに
私はどれだけの時間をかけてしまったのだろう…
私が
精神的に参っていたり
親や周囲に申し訳ないな、と思って
弱っているところに「呪いをかけた」んだなボスは、
…という結論に至った。
もちろん、
ボスの言うこともあながち間違いではない。
ただ、タイミング的に
「呪い」であった、ということ。
ボスは
折角新人を雇ったのに、
時間をかけて教えたのに無駄になった、という
負け惜しみのような感情もあったのかもしれないな、と
今となっては思う。
そして、それに気付いてからは
「この妙な解放感はなんだ…?」という
戸惑いがあって、
自分でも本当に驚いている。
人生においての取捨選択
…もっとさ、
感情や
言われたこと、覚えていることなどの「記憶」を
すっきりと取捨選択できたらいいのにね。
教師から言われたネガティブなことをいつまでも覚えていたり
友人が何気なく冗談で放ったひと言の傷が癒えなかったり、
ということが私はかなり多いのですが、
今回の聖地巡礼をしたことで
もうちょっと意図的に「取捨選択」をしていこうかな、
と思った次第です。
心の中のことなので
そうそう簡単ではない、とは思うのですが
自分が覚えていたり思い出すような言葉の中で
私を必要以上に縛っている、呪っているものがあるかもしれない、
と
いい意味で疑いをかけていくというか、
断捨離に近いような感覚を持っていこう、と考えています。
困った行動は抑制してもいいとは思うけれど、
本来必要な行動にまで
「ことば」や「記憶」というものは
私に制限をかけて
苦しめているのではないかな、
人為的なテコ入れも必要なのかな、
…と思えた、
本当に本当に有意義な「変態巡礼」でした。
さいごに
美術館のショップで買ってきたアメちゃん。
紅の豚のマンマユート団の…誰だろうねこれ…w
(とネコバスの色指定が載っているクリアファイル)
変態巡礼、今度はどこに行こうかな…。
そこそこ生きているわりには経験の乏しい人生なので、
ネタ尽きは早そうだなあ…でも、また懲りずに行ってこようと思います。
もし当記事にお付き合いいただけた方がいたら、
本当にありがとうございます。
よかったら、また遊びに来てくださいね。
ここでお待ちしております。