そういう時

こんばんは、
rieslife_ebi4u(リエ)でございます。

いつもは昼間の時間が空いた時にガーっと書くことが多い弊ブログですが、
きょうは、なんとなく夜更けにかけて
書いてみたくなりました。

GW、自分なりに楽しんでおります。
インドアなところが私らしいと自負しました。

最近、自分に起きた変化といいますか
気になっていることがあって、
それを書いていきたいと思います。

「陥る」

私は、以前から
更新頻度が少ないながらも
「ブログ」、というものを書いていて。

と言っても
単に趣味の感想を書くブログで、
かなり力を入れていた時期は
毎日書くネタが湧いてきた。
1日に何度も更新してみたりもして。

そこから今までの間、
書く内容が浮かばない時期が続いたり
突然ゴーヤの栽培日記を始めたり
新たな推しに夢中になって更新頻度が急に爆上がりしたりと

かなりムラがありつつも
何だかんだで続いていた。

…でも
その後、
まったくブログが書けなくなった。

これにはきっかけがある。

2010年の夏くらいかな…私は、
勤め先に行けなくなった。

ざっくり言うと、
電車に乗ると立ちくらみがして
降車してホームのベンチで休憩する。
また電車に乗って立ちくらみがして(以下ループ

…という症状に悩まされた。

病院に行って、通院と投薬治療をすることで
その時は何とか勤め先に行けていた。

でもそれは工夫の賜物で、
例えば
勤め先とは反対方向の始発駅まで
わざわざ戻り始発電車で座って通勤したり、
会社支給の交通費から足が出るルートで通ったり、

…という感じで

症状が寛解していないところを
薬で無理に抑えて何とか動ける、という状態で。

そして

翌年の3月11日に起きた
東日本の大きな地震、
あれで症状が悪化してしまった。

素材(?)が元気だったら
はね返せたのかもしれないけれど、

ちょっと弱った状態の私には
あの地震で不安をおぼえ
いつも以上に私に絡んでくる人に、
不安の解消に利用される感覚が…どうしても、無理だった。

なんか社内にそういう人がたくさんいたんですよね。
なんだったんだろうあれは。

もしかしたらあの頃、
みんながみんな
ちょっとだけおかしかったのかもしれない。
私も含めて。

リエ悪化

会社やめる

母の手術&入院

リエ腰椎ヘルニア罹患
(物理的に動けない)

騒音隣人とのたたかい
(不眠でおかしくなった)

転居

今に至る

それ以降、
症状も一進一退で
「陥る」、という言葉がぴったりな
そういう状況に置かれていた。

文才のかたまりに影響されて

このブログを開設しようと思ったのは、
こちらの本がきっかけでした。

A.B.C-Zを応援し始めて、
こちらがまたちょーどいいタイミングで発行されたんですよ(笑)。

この表紙、見たら買っちゃうよね。
イケメンというだけじゃないのですよね、憂いているというか。

温度というか湿度というか
「触感」にうったえかけてくるような、そういう。

戸塚祥太さんと私は
生い立ちが、すこし似ていた。
共通点があるように思い、
すぐに内容に入り込んでいった。

生まれ育って得たさまざまなこと、

たくさんのエピソード、

周囲の人たちへの愛、

それをあのようなタッチで書かれちゃったら
心を掴まれるしかなかった。

降参というか、完敗というか、
私にとってのジョーダンバットは…戸塚さんの文章だった。

すごいタイミングで出会った一冊でした。

心で、できている

今までは感覚でできていたことが、
加齢やその時の状況、
さまざまなことが重なって

急に衰えた、
できなくなった、
と感じることがある。

私がまさにそれだったわけですが、

でもって
ブログが書けなくなったわけですが、

人は何かに影響されながら生きているのだな、
心ありきで動いているのだな、
と改めて感じている。

こうしてブログを書きながら
私は今ちょうど
人生のスランプ期なのだよな…とは認識していて、

実はにっちもさっちも行かない四面楚歌に近い状況にいる。

だから、こうして推しに逃げている。

でも、少し前までは
推しどころじゃなかったので
少しずつ、光は射してきているのだと思う。

そういう時

そういう時もある。のですよね。
もうこればっかりはどうしようもない。
そう、思い込むことにした。

でも
「そういう時」を通った人間の強みって
確実に存在していて、
感覚や勢いだけで何とかなっていた若い頃の「それ」よりも
強固で、揺らがないものになっていくのだと思います。

過去を思い返して
今と比べると…できなくなったことがある、と気付く。

色々とできていた頃の自分には、もう戻れない。

それを受け入れた時、
抱えている荷物を下ろすことができたり
預けてみたり
誰かに持ってもらったり

…ということが、できるようになるのだと思う。

なんでも一人でやったほうが確かに気が楽で
私はまさにそういう人間なんだけど、
それだと…自分が荷物を抱えきれなくなった時に転んでしまう。

荷物そのものを
投げ散らかすことになってしまう。

それは誰も望んでいないし、
誰も望まないということは
私の本望でもないのだと思った。

どうしても無理なら
「あきらめる」ことも立派な勇気なのだと思う。

それは逃げるための諦めではなく、
迷惑をかける範囲を最小限で食い止める方法としての諦め。

その決断が必要な時もあるのだよね…。

相変わらず「まとめ力」の低さが露呈していて
お恥ずかしい限りですが、

ゆるりと続けていこうと思うので
また、
何かのご縁、タイミングで
こうして読んでもらえたら嬉しいです。

ありがとうございました。